東京から地方移住して2年、おもに仕事のふりかえり
こんにちわ。三島村・黒島の藤原です。
移住促進制度を利用して約20年住んだ東京から三島村に単身で移住してきて、もうすぐ2年です🚕
私はフリーランスでWebディレクター・デザイナーをやっていて、
移住後も移住前の仕事を主にやっていますが、長年すんだ東京から地方へ移住した後の生活と仕事について、今の私がおもうことを書いてみます✍
焼酎プロジェクトブログ立ち上げから1年経ちました、お披露目会の参加
私も関わっているこの焼酎プロジェクトブログの立ち上げからもうすぐ1年、初蔵出し・焼酎みしま村が令和元年初日に発売になりました。
また、先日開催された焼酎みしま村のお披露目会にも参加させていただきました。
(落成式は黒島での開催でしたが、今回は鹿児島市内の城山ホテルで開催されました。)
すごく感慨深かった😂ので、坂元さんの記事に詳細がありますが、私の視点からも書かせてもらいます。
このお披露目会、限られた少数のメンバーの方々が限られた厳しい条件のなかでひとつづつ積み上げた結果です。
私はブログ運営で関わらせてもらっただけですが、そのなかで状況を一部ですが知っていたので、本当にこの日が来て良かったなー、って思って。
新・焼酎みしま村がおいしくて!ありがたかったです。飲みやすくて皆さんにもぜひ飲んでいただきたい味でしたよ😊
お披露目会はとても盛大でプロジェクトに関わった議員や会社役員の方々などが出席されていました。
そのなかで私の印象に残ったものは、濵田酒造の社長の挨拶。
このプロジェクトの始まりがミシマカップでの三島村との出会いがきっかけだということをお話しされていました。
また島屋久島町の町長の挨拶で、最後に「(三島村村長へ)たっちゃん、良かったな!」と言われていたこと。
(そんな関係性なんだ、良いなーと思いながら聞いていました)
他にもいろんな方の挨拶などがあり、
この焼酎みしま村製造は、国の特例・焼酎特区として実現したプロジェクトですが、それは人と人のつながりで始まり、成り立って続いていることを思いました。
皆さんスーツで来られてて、私は普段着で来ちゃって、どうしよう!って思ったのですが、いろんな方の普段のつながりがわかったり、区長席でいろんな方に紹介してもらったりして、大丈夫でした!
硫黄島のジャンベ演奏(with村長のダンス)などもすごく楽しくて、皆さんも楽しそうで嬉しそうでした。
また、お披露目会のなかで杜氏の坂元さんと地域おこし協力隊の末國さんが
(プログラムにはなかったみたいですが、司会者の方のアドリブでしょうかね)挨拶されました。
同じ島民としてプロジェクトを一生懸命進めてこられていたのをみたり聞いていたので感慨深かったし誇らしかったです。
これからがはじまりの焼酎プロジェクトですが、私自身気持ちを新たにして引き締まる気持ちでした。
またこのブログでプロジェクトに関われたこと、いろんな方が関わってくださったことを改めて思いました。
地方移住して初めていただいた三島村の仕事
私が焼酎プロジェクトのブログ担当になったきっかけは、電動バイクを購入して、ナンバープレートを取得しに三島村役場に行ったときのことです。
そのときに挨拶にいった定住促進課で、日高課長から「藤原ちゃんー、なにかやろうよ」と言われて、はい、ぜひやりましょう!といいました。
日高さんはフェイスブックページ作るのが良いんじゃない?と言われましたが、私はまずは外向きに情報周知をするほうがよいのでは、とブログを運営しませんか?というお話しをしたのが始まりです。とにかく実現したかったので、そもそも予算を予定されていなかったということもあって初年度はお見積り金額は少なくても大丈夫です、という形で進めました。(2年目は値上げしていただきました。)
私も島民の方に何かやりませんか?と言いまわりながら、実現に至ってない経緯があったので、このチャンスが本当に嬉しかったのを覚えています。
こんな風にはじまる仕事は初でした。
今までは知り合いの紹介、とか、既存のお客さんから「こういった案件があって・・」という相談からはじまる仕事が多いですが、
なんかやろうよ、というところから、こんな形でいきましょう、って話して、進んでいきました。
形がないものから作るのは、めちゃくちゃ楽しいですが、形がある場合と比べて時間が倍以上かかるのを知りました。
私がブログの立ち上げというものを初めてやった(クライアントの運営をお手伝いする立場はありましたが)ので、勉強しながらっていうのも時間がかかりました。
ブログの説明(→サイトのアクセス数を増やす、ということを念頭に置きながら進めていきませんか?というお話)
SEOの説明(→どういったユーザーにどういった検索をしてもらいたいか?というのがこのブログにとって大事になってくるんじゃないか)
プロジェクトの情報を教えていただく(→どういったプロジェクトで、どこにむかって進めてるんですか?など)
今回のブログの競合調査・目標設定・キーワード選定
などをまずはじめにチームへ提案したりしました。
手探りな状態が続きながら、三島村役場の飯田さんや杜氏の坂元さんに相談しながら、
とにかく、やってみよう!
のスタンスで進めていきました。(この環境、ありがたいです。今は月1回アクセス等でブログの状況を振り返り、共有してます。)
最初の3か月くらいは、アクセス数は悲しいものでしたが、地道に続けていって今はある程度増えていっています。
(運営はじめたころに比べたら約6倍になっていて、4月は過去最高のアクセス数です。)
主に坂元さんや末國さんや、今まで協力してくださった皆さんが記事更新しているからこそ、成り立っていますが、まだまだアクセス数としては少ないです。
アクセス数がすべてではないですが、この焼酎みしま村や三島村の魅力はまだもっといろんな人たちにわかってもらえる、と思いますし、それがプロジェクトに沿っていることも大事だと思います。
このブログ運営は、私のWebディレクションの経験・知見を、皆さんに理解してもらおうとしていて、理解できなくてもやってみよう、この角度からやってみよう、という雰囲気がチームにあります。
手前みそで私個人の感想ですが、黒島クイズ、わたしは一生忘れない!黒島の自然に魅入られた日、スポーツレクリエーション、地域おこし協力隊の募集の記事など、自発的に皆さんが書こう!って感じで書かれた記事で、読んでて三島村の雰囲気が伝わってすごく面白いなーと思います。
他にも地域おこし協力隊の棚次さんの硫黄島のジオパーク、三島村観光協会の棚次さんの記事、竹島の晋作さんや潮風ハウスの乙守さんの記事など、皆さんにイチからブログの説明をして快く協力してくださった記事もよいなーと思います。色々ご迷惑をおかけしたこともありますが、関わってくださった皆さんに感謝してます。
そこからジオパークのフェイスブックページで紹介するようになったり、三島村観光協会のフェイスブックページで紹介してくださったり、輪が広がっています。
取材なども気持ちよく時間をとってくださって、できてよかったなー、と思います。まだ島民の方に声をかけていながらできてないことがいっぱいあります。(また、三島村に関わる記事を書きたい!って方はぜひ声かけていただければと思います。)
東京でやっていた仕事でもこんな雰囲気はない訳じゃなかったですが、こんなにも、何もないところから作り上げていけるのは、三島村のような地方に移住したからこそできた仕事だと思います。
「事に向かう力」が強いプロジェクトだなーと思います。
私個人、力不足や未熟さは日常的に感じますし、移住者の私が紹介して良いんだろうか、というのもあります。でも私がやらないとな!という気持ちも強く持っています。
(能力としてできる人たちはいると思いますが、気持ちも含めて黒島にいるWebディレクター・デザイナーだからできることもあると思っています)
東京から地方移住で変わった自分の変化について
東京から移住してきた当初、
私には自然がいっぱいあって、楽しい場所であるこの島で、割と「なんにもないけれど」とか「こんな感じしかできないけれど」というような自信がないような言葉を多く聞いていたのも三島村の仕事に関わっていくきっかけになったと思います。
いや、すごいけど!?なんで?そんな感じなの?
移住の初めのころ、島民の方と接すると思っていたことです。
だから私がすごい、と思っていることを周知したい、という気持ちがありました。
でもその自信のない感じ、島に2年近く住んでると自分にも同じような感じが起こってきました。
(一個人の経験談ですが、地方移住したら感じることもあるんじゃないのかなーと思います)
私は離島に移住して会う人の人数が激減しました。
友達とかもそうですが、そもそもコンビニにいったりちょっとした用事ですれ違う人もほとんどいないです。
それは、拠り所が減り、孤独が深くなることでした。
逃げ場・気晴らしの場所が都会と比べて減り、常に自分と向き合っているような状態になりがちです。
良い状態のときはいいんですが、弱くなったときに、ただ弱くなって自信もなくなっていく感じがあります。
人間恋しさ、という感覚もでてきました。近所の人に会って、少し会話するだけでめっちゃうれしいんです。
東京にいると人と距離を置きたい、感覚がありました。人混みは苦手でした。
(ちなみに東京は昔も今も大好きで、時々行きます。)
(あとジャンクフードやコンビニ、ドンキなども、恋しくなりました)
東京の会社員時代は、色んな人達のなかで自分のポジションを無意識に決めて、(決められて)そのなかで振舞っていたように思いますが
離島の仕事の環境は、自分と自然、時々人、、(あるいはツイッターやネットフリックスなど)みたいな感じです。
最初は離島での仕事は人の目が少ないので自由自在・縦横無尽なのですが、段々スピードが衰えて動けなくなってくる感覚があります。
どこに向かっていけばよいのかを見失いがちになります。取り残されている感覚もでてきます。
昔の都会で接していた周りの人達は、ある意味ストレスでもあったけど、原動力や指標でもあったんだなーと思います。
(なので時々出張もかねてクライアントのいる東京や大阪に出かけていったりもしています)
私だけかもしれません。
三島村の方たちと日常的に仕事をしている場合は、また違っているかもしれません。
それでも、三島村で仕事や生活をしていくか?という疑問
なんで、そんななかでそれでも、三島村で仕事や生活していくか?
という疑問。
この自問に、私は、おこがましいですけど、
この前のイチロー選手の引退会見のなかで言っていた
あの(最後のシーズンで試合に出れなくても練習をずっとしていた期間の)経験は自分にとってささやかな誇りを生んだ日々だった、
という言葉を思い出します。
今の生活、ギフトだなー、と思います。一見困難な状況にみえる、実際困難だから与えられるギフト。
自然を観光的にでなくそのまま感じられること、
会社というものがほとんど存在しない場所で一定のコミュニティが成り立っているなかで生活させてもらっていること、
今まで接してこなかった高齢の方達と接して自分の行く道、私は主に人生の下り方を知ること、子供から老人までが一緒にその場にいる多様性、
人が金銭の損得を超えてつながっていこうとしていること、
そういうことを三島村に移住したから知ることが出来たと思います。
それは、今まで経験したことはなくて、東京にいるときには想像もしなかったことです。
一般的に経験することが良いのか、というとわからなくて、
東京では出来なかったのか、と思うと、それもどっちか本当にわからないです。難しいでしょー、とも思うし、しっかりしてれば出来るのかな、と。
私個人は三島村に移住してきたからみえてきた景色だなー、
そして、とても楽になったので、私としては良かったと思っています。ありがたい。
また、三島村関連の仕事は進みだすとダイナミックに物事が進みますが、逆に自分が動かないとなかなか物事が動いていかないです。
それが責任重大でもあり、楽しくもあるのが今の私の移住後の仕事です。
他のクラウドソーシングでいただいていたり、三島村の他の仕事のこともあるので、それを含めて実際のことも書こうと思ってたのですが、
今回の記事は私個人の所信表明みたいなことになりました。今後もブログを楽しんで読んでいただけるように、また三島村の良いところ、知ってもらいたいし、自分ももっと知りたいと思います。(その時間を作れるようにしたいです😓)
長文になりましたが、読んでいただいてありがとうございました!
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